岐阜県各務原市で幅広い印刷にご対応
8:15~17:30

同友会との出会い

 昭和五十五年の二月、入会しました。ホテルパークみなと館で新会員として抱負を一言と話をすることになりました時、私はすでに六十五歳でした。「昔から六十の手習い」という言葉があります。「寿命も少し延びましたので、今からでも遅くはない、勉強したいと思いますのでよろしく」といったような挨拶をしまして席へもどる途中に若い方がささやいて居られるのが聞えました。「六十にもなったら勉強したくないなー。好きなことをして遊んでいると思うよ」
 それは、その人の考え方、私は私の考え方でやろうと、この中にも、そう思われる方があると思いますが、あちらの研修会、こちらの勉強会に出かけました。四国の加ト吉のお話、大阪の山善さんのお話、満天の社長の話、いろんな研究会に出掛けては、気力を充電してきました。
 私の記憶に強く焼き付いているのは横浜の研究集会で社員教育部会に参加した時のことです。第一日の講師の発表が終って帰ろうと皆んなが出口まで行った時の事です。
「皆さん、もう一度席に戻って下さい。」皆んなは何事かと思って席に着きますと、頃合を見計らって講師の方が言いました。
「今日、皆さんの中には遠い九州や北海道からも高い旅費を使って来ておられる方も多いはずです。そしてこれから、社員を教育して良い会社にしようとしている人が、勉強した自分のイス一つ元に戻さないで帰る、そんな心掛けで何んの社員教育ですか、それで教育が出来ると思いますか」

・・。場内はしーんと静まり帰りましたね。
「どうか気持を引締めて、明日の研修をしっかり身に付けて帰って下さい」こたえましたね・・・。

 そのときの講義の内容はすっかり忘れましたが、この出来事だけは頭に焼き付きました。いつでも、どこでも、どんな時も、いつもその心構えでのぞむ事を教えられました。

 後日、新社屋が出来てから、朝礼で社員に話しましたが、食堂のイスは、いつもキチンとそろっていました。そういえば今もそろっているかなー、と思って見てみました。
 もう一つ印象に残っておりますのは、この「破れガラスの夜行列車で活字の仕入れ」というプリントがありますが、これは同友会の五十六年頃の新年号載った記事ですが、ある時勉強会が終った帰りの廊下である方が私のそばへ近づいて来られて、「井奈波さんですね、実は私にも苦しい時がありました。落ち込んでいました時、井奈波さんの創業時代の記事を読んで勇気付けられました。お陰で苦境をのりこえることが出来ました、ありがとうございました」とお礼を言われました。一寸の間の会話でしたが、本当によかったと思ったことを覚えております。

 私は同友会で勉強できた事は今でも生きていると思っております。

関連記事