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結婚

 私の年齢は昭和の年号に十歳たせばよいのですが、「縁は異なもの味なもの」と申しますが、日米戦争の開戦前夜といいますか、風雲急を告げる昭和十六年の春、一通の手紙が私のもとに届きました。山県郡の山村に嫁いでいる私のいとこからです。と申しますのは、かねがねお袋さんが「良い娘があったらと頼んであって二週間程前に見に来るようにと連絡があったのを、残業、残業と繁しい盛りであったので返事が出して無かったのです。文面を見ると「村一番の美人と評判の娘を、その娘の親さんに話して見合い出来るようにしたのに返事も無いとはどおゆうことか、この手紙がつき次第返事をくれ、なきゃ今後一切、世話は断るからそう思え」大変なけんまくの内容でした。最初から村一番の美人と書いてあれば、何をさておいても見に行ったと思いますがね。
 最も「蓼食う虫も好き好き」といいますがね。見合いするのは初めてでしたがおふくろさんが気に入ったらもらうつもりで出掛けました。
 彼女も初めてのようでお茶を運んで来たおぼんが小きざみにゆれていました。小さい湯呑を日本海としますと、「天気清朗なれど波高し」というところですね。
 トントン拍子に話も進み十月に自宅で結婚式を挙げました。
後日談と申しますか、その後に聞いたことですが、神前結婚の祝詞を読んで下さった先生は八十歳をこえたお方でして年をとると誰でもそうだと思いますが、オシッコが近くなります。先生も、もし式の最中におもらしでもしたら大変、と考えたあげく腰からビンを吊ってビンの口に男性のシンボルを入れて式に臨まれたということです。牛乳ビンでは小さいし一体どんなビンを使われたのでしょうか。御本人にしてみれば、とても笑い事では済まされない大変な事だったと思います。
 それから結婚式の写真が出来ましたので、それを持って先生のお宅を尋ねますと、先生は留守で、七十九歳になる奥様がみえました。先日のお礼を言って写真を渡しますと、どれどれと言いながら写真を開いて、「ホーきれいな娘やなー、本当にお似合いのご夫婦や、正さんよかったなー。おめでとう、おめでとう」と真実のこもった声で言われます。
 ほめられて悪い気はいたしません。ありがとうございます、ありがとうございます、と言ってふと写真を見ますと・・・なんと写真がさかさま。
 目がお悪いとは聞いておりましたが、白内障が極度に進行していて写真が反対であることすらわからない状態だったのです。それはさかさまです、とはとても申せません。ひたすら丁寧にお礼を述べて帰りました。

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