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西濃印刷の時代

 昭和四年の春、小学校を卒業した私は、岐阜市軒町の電車通りにある西濃印刷株式会社に活版印刷工として入社しました。
 入社して一ヶ月位たったある日、昼の食事のお茶くみにやかんを下げて工場のわきを通ります時、開いている窓口から話し声が聞こえて来ました。
 「あのチビ一番間に合わんなー。」勿論私のことを言っているのです。又、そう言われてもいたし方ありません。その年に機械部に入ったのは三人でして、他の二人は徹明小学校の陸上部の選手で私よりずっと大体で、しかも二週間程前に早く入っていました。ですが、「あのチビ一番間に合わんな」と言われたことが残念で何とか良い方法は無いものだろうか、家に帰ってからもそればっかり考えて、考えて、考えたあげく一つの結論を出しました。それは明日からでも実行できることとして、先づ会社へ一番に出勤すること。翌日から始業時間一時間前に会社へ着くことを実行しました。
 二つ目は、将来岐阜一番の印刷職人になってみせるっ!
これは父の口ぐせでしたが「人様のためになれ、人のいやがる仕事は自分から進んでやれ」一時間前に出勤してぼんやりしていては時間がもったいない、便所場掃除が始まりました。皆が出勤する前に機械の油もさし終わりました。床の掃除も出来ました、印刷の道一すじに打込めたのも、あの時の「あのチビ一番間に合わんなぁ」、あの一言のお陰だったと思います。
 以来十三年間の西濃時代には色々な思い出があります。
 その一つは、日曜に弟を連れて行き、機械をバラバラに分解掃除をして機械の組付けを覚えたり、また印刷雑誌の中に質疑応答欄があり、その本が倉庫の中に積まれており、近くくず紙と共に売られると聞いて、休日を利用して倉庫に入り数十冊の本から応答欄だけを切り取って勉強したことが後日大いに役立ちました。

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