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ゆくみち

私が最近読んだ本の一文にこんなものがありました。

    百歳の春
 青春には青春の喜びがあり 若人の道がある
 中年には中年の抱負があり 壮年の理想がある
 老年には老年の想いがあり 熟年の夢がある
 年齢に関係なく燃える勇気と心の躍動こそ生きる歓びの原点です

あなたは年齢を数えて老人だと決めていませんか?その考えは違います。
重ねた年が老人でなはく、
心に希望を失った人が老人です。

年を忘れて 理想を追う。
いつも前向きの姿勢で 心を躍らす!
それが百年の青春です。
 昨年の秋、金婚式と喜寿を記念して「みちのく紅葉のたび」ともっともらしい名を付けて家内と共に車で東北へ出かけました。
 昔、東北ツアーで見た八甲田の紅葉があんまり美しかったので、もう一度見たいと思ったからです。
中央道から東北自動車道を走り、下北半島の恐山、八甲田の地獄沼の素晴らしい紅葉、奥入瀬の渓流、雪の八幡平から太平洋側の八戸の種差海岸、久滋、宮古の浄土ヶ浜、三陸海岸、唐桑半島、大船渡、碁石浜、陸中海岸、奥松島の嵯峨渓、仙台から山形自動車道を走り蔵王のエコーラインの紅葉も見事、磐梯吾妻スカイライン、レークライン、ゴールドラインを走り猪苗代湖へ出て郡山から首都高速四号線を通り中央道に出て無事帰って参りました。十五日間、三九八五キロの思い出に残る旅でした。

この旅行を今振り返ってみますと、出発前は多少の不安と緊張もありました。でもアタックしました。なぜでしょう。それは年と共に衰えゆく気力を、何とか少しでも取り戻そうとする気力への挑戦であり、出来るか出来ないか、計画を果たせるか果たせないか、自分の気力を試す一つのかけでもあったと思います。
私の好きな言葉に

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆ人は自信と共に若く 恐れと共に老ゆ人は希望あるかぎり若く 失望と共に老ゆ

といいます。
 私の今年の夢は六月に敦賀からフェリーで小樽にゆき北海道を一周することです。そして、八十までには日本を一周することです。
 私の希望は、この身の丈ほどの小さいものかもしれません。しかし“人は希望ある限り若く”を心のバックボーンとして夢と希望を抱き続けたいと思っております。
 ある学者が「人間は必ず死ぬんだから、死をおそれないこと。食後にお茶を飲むような気楽さでいよう」と言いました。
 また、あるアメリカの学者は、十五年間研究を重ね死後の世界を発表しました。仮死状態から戻った百五十人を、世界中から選んで死後の体験を質問したのです。
 その結果、百五十人全部同じ答えでした。

臨終は想像したより苦しくなかった。死後は金色のトンネルへ入り
キレイな長いトンネルをくぐり
一望千里の野原に出る
百花らんまんと咲き競う花園です美しい蝶が舞い、鳥が歌うパラダイス
暫く行くと前に逝った家族や友人が笑顔で迎えてくれる

 この世で思った暗いイメージではなく、楽しいユートピアだったそうです。

 百五十人の他界体験者の報告固く信じて不安を一掃しませんか。

 戦争という時代を通り抜けて来た者の共通した考えの中には、人生には、自分ではどうにもならない部分があるんだということを知りました。それは、あの部隊は全滅したと言われた中にも、いくらかの人は生存しました。それは理屈ではわかりません。
 乗り遅れて、“しまった”と思った列車が敵の機銃操射にあって、死者が出て、乗り遅れて、かえって幸いということもありました。
 今の時代でもそうです。運転ルールをしっかり守って走っていた人が、たまたま居眠り運転でセンターラインを越えて来た車にぶつかって、これを見た限りでは『何も悪くない人が死んで︑ぶつけた人が命をとりとめる﹄こんな計算に合わないことはない︑なぜでしょう。わからない天の采配としか思えません。だったら、くよくよしないで、明るい気持、感謝の気持、歓びの気持を持って、残された命のかぎり、死ぬことを恐れないで、天にまかせて、夢と希望に向かって、生きる意欲をかきたてて最後の炎を燃やしたいと思っています。
それが今の心境です。

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